仮想通貨に出会い、仕事を辞めて1年たって思う事

 

仕事をやめてから、ちょうど1年経つので今後の健忘録として1年の振り返りを残しておこうと思う。
(仮想通貨で億り人になったから退職したとかではないのであしからず・・。)


退職してからのことを書きたいなぁと思いながら色んな切り口の下書きだけが溜まっていたんだけど、推敲したり唸りながらずーっと考えた末に残ったのは、”自分の幸福度は自分にしか決められない”ということだった。

仮想通貨界隈のSNSをみていると、現在のタイムラインはみんな儲かっててなんなんだという気持ちになると思う。
でもこれって、この界隈で生き残れたのが継続した努力ができる、情報収集能力の高い人、頭のいい人、倫理観を飛ばせる人の集まりで、生存バイアスでしかないんだよね。しかも、儲かっていたって本当にその人が幸せかどうかなんてわからないし、今幸せでも数年後も幸せかはわからない。人によっては、24時間動いてる仮想通貨市場に疲弊して体調を壊した人もいるし、一時的に億り人になったのに、そのほとんどの資産を一瞬で溶かしたりしている。儲かっているっていってないと商売できないからそう見せている人もいる(多分・・)。

運よく資産を得た人も、勢いで仕事を辞めて、40年50年生きている間にお金が無くなったけど、再就職できずに悲しい最後を迎えるかもしれない。お金をたかられて、だれも信用できなくなっているかもしれない。
私自身も、仕事をせずに1年過ごせるなんて幸せという一方で、社会から取り残される不安感を感じずにはいられない時もあったし、世の中に幸せだけを感じて生きている人なんていないのではと思う。

そんな人たちの努力や影の部分は見ずに、いい部分だけ、上澄みを掬い取ってみている私を含めた(特に自分に自信のない)一般人が、幸せというぼんやりとした決まっていないものを掴みたくて、苦しくなったり、不安になったり、怒ったり、嫉妬したりしているという構図だ。
見せられてる上澄みの幸せだって、結局他人のもので、子供のいる家庭が幸せなのも、一人で自由な時間を使えるのが幸せなのも、脱社畜が幸せなのも、すべてはそれぞれの人の価値観、尺度であって、自分のものではない。

そして、それを見ていても自分の人生はいい方向には変わらない。

大事なのは心の安定や幸せを自分が感じるのは、何気ない日常なのか、子供なのか、仕事の達成感なのか、儲けることなのか、全てないと気が済まないのか、別に幸せになる必要がないのか、自分で自分に納得することではないだろうか。
それぞれの人が人の価値観を受け入れながらも、よそはよそ、うちはうち、と自分の中に幸せの尺度を持てるようにすることが、ながーく幸せでいれるコツなのではと思う。

(一番いい方法は、SNSをやめることな気がするけど、それだと新しいものへの刺激もなくなっちゃう気がするので・・・)


 

私は仮想通貨が初めての投資にも関わらず、ありがたいことにブームに乗れたことで一年ゆっくり過ごすことができて、色々な方と繋がることができ、自分がいかにモブであるかを知ると同時に自分の幸せの尺度について考え直すことができた。
運よくその方向性に合った仕事を始めることができたので、目標に邁進しながら、ブロックチェーンについても必要になった時のために追い続けていこうと思います。

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